法灯明(ほうとうみょう)

 

前回は、「自灯明(じとうみょう)」について、

書いてみましたが、ブッタは死期間際に弟子たちに

「自灯明」「法灯明」最後の教えとして諭したそうです。

「法灯明」とは、

「法を拠り所としていきなさい」とのこと。

わかりやすく言うと

「正しい教えと真理を信じて進みなさい」

 

「自灯明 法灯明」とは

「他人の言葉に惑わされず、自分の信じた道を行きなさい。

 法である、正しい教えと真理を信じて進みなさい」

と、私は説法の教えを解釈してみました。

自分で解釈してなんですが、難しいですね(汗汗)

「信じる」という言葉でふと、以前芦田愛菜ちゃん

心に残るコメントをしたことを思い出しました。

『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

    ↑参考:URL 東洋経済新報社 

まさに、「揺るがない自分」「自分を信じる」とこに

繋がるのかなと、おばさん(私)は愛菜ちゃんから学びました。

 

禅語は奥が深く、解釈が難しいですが、少しでも

心の片隅に止めておくと、自分を見失いそうな時に

きっと助けてくれることでしょう。。。

この解釈は、あくまでも私の勝手な解釈ですので、

正しく教えを学ばれたいのでしたら、他の方のサイトを

参考にされてくださいね。

目標や夢を持ち学び続けることは、何歳でも遅くない!

人生100年と思えば、今はまだ折り返し??

揺るがない自分を信じていれば、何も怖くないですよー(^^)/

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